昭和45年8月26日 夜の御祈念       (信太郎)



 御祈念の時間まで日田の綾部さんと高島さんと、あの、敏子さんの婿さんとお礼に出て来ましたが。本当にもう、この神様の働きの新たかな事に、もう本当驚いてしまうち言うてから、まあ、言うて、今日はお礼お届けがありましたが。昨日も、綾部さんパーマ屋さんに行かれた。ところが、そのパーマをしなさる方が、もう何か、もう顔色は青いし、何かこう、とんちんかんな事ばっかりされるから、今日は貴方どうかしとんなさるとじゃないですかち言うたところが、息子が事故で、もう日田では駄目だから、久留米の医大に連れて行ってくれちゅう事で、まあ、連れて行ったところでございます、ちゅう事じゃったらしいですね。あんた、そんなら、ちょいと待ちなさい。私がお参りしよる所にお願いしてあげるから。ああ、お願いして下さいと言うので、色々その電話がかかって参りましたが。もう、医者がたまがるように手術が順調に行ってから、まあ、おかげで今日は話も出けるというくらいにおかげを頂いて。もう、とにかくお母さんが大変喜んで、まあ、お礼に来られたと。また、他にもおかげを頂いた事のお礼に、今日は参って見えたんですけども。今日はあの、ちょうど私が下がってからですから。もう、5時か6時頃でしょうね、あの、松岡さんの娘さん、順子さんがお礼に出て来ておりました。2~3日、4~5日前ですか。あの、御主人がダンプカーと正面衝突して。そして、自動車はもう、それこそメチャメチャになっとったけれど、本人はほんのかすり傷だけでおかげを頂いたと。今日はまた、特別なおかげを頂いたち言うてから、その順子さんがお礼に出て来たそうですが。何かこう、あの、何か爆発したのか何かですか?聞いたんですか、あなた方?何か、久富先生が、その、ちょっと言われましたけれど。ちょいと順子さんは、こんな事をおかげを頂きました、命拾いしましたち言うてから、私言われますもん。私の足を揉んでいた時のそれに、そん、聞きよったんですけど。とにかく、髪の毛も、こう眉も焦げてしまうくらいにあった。それが、もう、どうもない。もう、どんこんこんこん、ヒリヒリしてたまらんとを、お母さんがすぐ、あの、お神酒さんと御神水を持って行ってから、こう、顔からこう、塗ってやったら、それっきり痛みも止まって、今日お礼に出て来ましたと言うて、お礼に出て来たと、こう言う。本当にあの、信心させて頂いておれば、目に見えるおかげより、目に見えぬおかげの方が多いと仰るが。本当に目に見えての、もう奇跡と言わにゃおられんほどしの、おかげを、まあ、皆が頂いておられますが。神様は、どうしてそういう、その例えば奇跡を見せられるかということ。私どもは、どうでもそういう奇跡を見せて下さるほどしの神様におすがりをして、私どもの心が、もう奇跡と思われるくらいにです、私自身が二人見るように変わらせて頂く事を願った(あれです?)。ね。自分のような、例えば信心のなかった時の自分というものと、信心を頂くようになってからの自分というものが、本当に(永劫?)助かって行かれる。本当におかげを頂けれる心に切り替えて下さる。これは、もう性分じゃけんと言わずに、そういう奇跡を現して下さる事の出ける神様ですから。私どもの心の上にも奇跡と思われるほどしに、自分というものを改める事にですね、本気ですがったら、おかげ下さる事の出ける神様だと。問題は、本気でね、願わにゃ駄目だと。これで良いという事は一つもない。信心が詳しゅうなっただけじゃ駄目。なら、奇跡的な、その、いわゆる御利益を受けただけでは、それは、神様の願いのまだ半分しか成就してない。こういう働きを持って、氏子心の上のおかげ、改まり。心の上に奇跡と思われるほどしに、自分が変われれるおかげをね、頂いてくれよというのが、神様の願いなんですから。やはり、願わにゃいかんと思う。ね。自分の心の事は、もう性分だからなどと言わずに、どうでも一つ、この頑固な心と言うか、この汚い心と言うか。そういう、例えば、んなら心がです、美しい素直な心に、奇跡なまでの自分で思いをするほどしに変わられれる働きをして下さる神様。ね。そこんところを、一つ願うて行かにゃいかんと思うですね。どうぞ。